とどのまつりはとどのつまりではない/舞踏公演「とどのまつり」は祭りなのか?

とどのまつりはとどのつまりではない/舞踏公演「とどのまつり」は祭りなのか?

BUTOH

とどのつまりという言葉は出世魚のボラが成長していきつく最終の名前が「とど」になるということから「結局のところ」「いきつくところ」といった意味で使われています。とどが魚の名前だというのは少し意外でした。海に住む哺乳類が大好きな私にとってとどとは「Sea Lion」のとど(海馬)以外の何者でもなかったからです。哺乳類のとどについても実際に本物をご覧になったことがない方は、なんとなく海の岩の上でゴロゴロしている印象かもしれませんが、かなり大きくていかつく、まさにキングオブ海に住む哺乳類といったところ。誇りたかきほ乳類といった佇まいです。

私が記念すべき初のソロ自主公演につけたタイトル「とどのまつり」はその後も何回か公演タイトルとして使うほど、私にはおどりの象徴というか舞踏のそのものを指しているといっても過言ではありません。

photoshop LEで作ったチラシ

「とどのまつり」って何?と聞かれることもあります。公演チラシによると英訳は「Carnival of The TODO」なのでどうやらお祭りのようです。ある文献に出ていたとどのまつりのいわれが、チラシにも引用されているので今一度確認してみましょう。

とどのまつり【海馬の祀り】《季》K市に古来より伝わる伝統祭礼。かつて歩くことができないトドでもできる祭りをと巨大なトド像が建立されたのが由来。《類》草木も踊る丑三つ時。

ークドクド、Blah-blah-blah………。

ただ、他説としては「徒奴の祀り」とされているものもあり信憑性は不明だったりするのですが…、
「私のとって最も憧れるおどりは祭りであり祀りである。そしてそれらは海にすむ哺乳類のように陸に上がらずに短い四肢(ヒレ)をパタパタと携え、ただそこに存在するいのちの塊らによってかたちづくられている。」…ということなのかなと思っております。

とどのつまり、私のおどりにとってもっとも大切なものは美術作品や文学といった人間によって創出されたものというよりは、動物や植物などのいのちや風景といった森羅万象であるということのなのかな〜というのが根底にあって、でもそんな生き物たちが人格を持って夜な夜な祭りを開催していたら面白くないですか?そんな舞台がいつか作れたらいいなと夢想するのでありました。

これも「とど」という時もある。要するに海に住むほ乳類の総称らしい

とど状のものはだいたい好きです。
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