デザインのアイディア出しがどうしても辛い時/「捨て案」という犠牲体

デザインのアイディア出しがどうしても辛い時/「捨て案」という犠牲体

仕事でデザインに関わることは結構大変なことが多いです。私なんかは後発的にそれなりに大人になってから始めた仕事だったので、いわゆる夢と希望に溢れたデザイナー志望ではなかったのですが、この仕事を始めてから、若い人たちが夢と希望に溢れこの仕事を選びイメージとのギャップを経て辞めていく様子は結構目撃してきました。これはもうデザイナーに限らす社会一般に言えることなのかもしれませんが、どこか完璧を追求すると辛くなってきてしまうので、自分で背負いきれないことは一度手放してみるのも一つの手だったりします。

2~3案出す予定なのに何にも思い浮かばない時もありました

公演のチラシなんかを作っているときは自分のやりたいようにやっているので、まぁそんなに苦労はしないのですが、仕事で複数案件がたてこんでいてのアイディア出しが同時並行しているときは結構こんがらがってスクランブル状態です。それでも仕事なので何が何でも形にして提案へもっていかなければならない時に、見事に何にも思い浮かばないことがたまにはあります。その状態は結構辛いです。熱心にやろうと思えば思うほど追い詰めて夢に見てしまったりもします。まぁでも本人はやりたくないわけでは決してないし別に職場に行きたくないとかはないのですが、とにかく勝手に自分自身を追い詰めている感じですね。他にも手数が必要な案件があると考えることで全てを埋めるわけにもいきませんし、締め切りは迫るわけで…。ほんっとーにどうしようもない時にはまず保険の犠牲体として「捨て案」を一個考えてあんまり深く考えずに作ってしまいます。出来がよくなくても構いません。「捨て案」なのですから。「捨て案」はクライアントへの提案の際に自信がある他の案件をよく見せるために用意しますが、わざわざ最初から捨てるために用意するわけではなく勢いだけでできてしまったがゆえ「捨て案」化することが多いです。ところが「捨て案」があることによって最低でも1案あるじゃないかという気持ちの変化から気分的には楽になるような気がします。たま〜にですがこれは「捨て案」だと思って用意した案をクライアントが気に入って採用されてしまったりすることもあり、野球でいうと送りバンドをしたら相手が「どエラー」して自分が生きてしまうというような自分の実力ではどうにもならないラッキー状況なのですが、そう考えると人の好みはアンコントローラブルなもので、決して不正解というものはないのだと思います。

ヒレヒレしても追いつかないときは辛い